3年前にREWORKを読んだ時は、ものすごくグッと来るものがあり、それは今でも年に数回読み返すくらいのお気に入りになっている。そんな37signalsがリモートワークについての新しい本を出し、ありがたいことに日本語版もすぐ出版されたので、即予約して手に入れたその日に一気に読み終えた。
結論から言えば、実践的でとても良い本だと思うけど、REWORKの時ほどは響かなかった。なんでかなと考えていて、それはおそらく自分がそれなりにリモートワークの経験を持っていたからなのかもしれないと思い、その経験について振り返って本書と照らし合わせることで新たな発見があるかもしれないと考えた。自分の経験してきたリモートワークは、37signalsのような華麗な仕事っぷりは微塵もないけど、それでも本書の内容は頷けるものばかりであり、すでにリモートワークの良さは十分わかっていたので、新鮮味に欠けてしまったのかもしれない。
知りたかったのは、リモートワークをしていく上でのさまざまな課題とどううまく付き合っていくかであり、その部分を掘り下げて欲しかった。けれど、これほどまでに簡潔で明快な文章で要点を抽出すると、具体性が多少薄れてしまうのは仕方がないのかもしれない。それを考える意味でこの記事では、自分の過去の経験を具体例として振り返り、本書を踏まえて考えなおしてみたところ、リモートワークで重要だと思ったのは以下の2点で、
- 他者との良質なコミュニケーション
- 対象への継続的なモチベーション
ごく普通の結論にたどりついてしまった。以下ではそれについて詳しく書いていく。
リモートワーク歴
自分のリモートワーク歴はそれなりに長いほうだと思っていて、職種や時期的に大きく4つに分類できる。
- 1996年〜1999年、10代、メールマガジンの編集者として(すべてリモート)
- 2000年〜2009年、20代、デザイン会社のWebデザイナーとして(5年くらいリモート)
- 2002年〜2009年、20代、ネットゲームの廃人プレイヤーとして(すべてリモート)
- 2012年〜2014年、30代、フリーランスのWebエンジニアとして(すべてリモート)
3つ目のネトゲ廃人時代は半分冗談だけど結構本気な部分もあって、ネトゲってプレイスタイルが極まってくるとある一面ではリモートワークと何ら変わらない。当時自分がやっていたネトゲは遊びじゃないと言われていて、遊びじゃなくなるほど真剣に取り組むゲームというのは作業感が強くなり、続けるのが結構しんどいのだけど、それでもやめられない中毒性があって同じゲームを7年間も続けてしまった。おっと、話が横道に逸れた。
それぞれの職種で所属していた会社(チーム)の人数的には、編集者時代は10人ほど、Webデザイナー時代は4人、ネトゲ廃人時代は最大30人くらい、現在フリーのエンジニアとしては数社とやりとりしているけど3〜7人くらいと、すべて小さなチームなので、大規模なチームでのリモートワーク経験は持ち合わせていない。オフィスワーク経験としては、2000〜2004年と2009〜2012年は普通に満員電車に揺られて通勤していた。
今回は上記4つの中から、最初に経験したメールマガジン編集者時代(1996〜1999年)のリモートワークについて振り返りたいと思う。というのも最近、以下のナウい執筆スタイルの記事が話題になっていて、同じリモートでの文筆業として昔のことを思い出したというのが少なからずある。
Github を使って雑誌原稿を書く - naoyaのはてなダイアリー
リモートワークについての昔の話ではなく最新の話に興味があれば、上の記事を読んだほうが参考になりそう。でも、昔を振り返ってみてわかるのは、技術は進歩しているけど、人間がやることは今も昔も変わってないということ。そして、自由度が増したおかげで新しい悩みも増えているということ。
というわけで、ここからは昔話。おっさんの昔話が長いことは紳士協定で定められている。
第1次メルマガブーム
1996年頃に「ポータル」という単語が持て囃されていたのをご存知だろうか。日本で最初のメルマガブームが起きたのもたぶんこの頃で、今のような著名人が文章主体の有料コンテンツを配信するタイプではなく、学生ベンチャーやIT系の中小企業がネット上の最新情報を提供(プッシュ)する無料メディアとして、情報の速度や量、発行部数などを競い合っていた。その多くがメール内に掲載したテキスト広告で収益をあげようとしていたように思う。ジャンルもニュース系は定番として、ショッピング情報、ゲーム情報、懸賞情報などの色々なメールマガジンが発行されていた。
当時の自分は大学生をやりながら、上記のようなメールマガジンを発行するベンチャー企業に所属していて、その会社は業界ではそこそこ有名どころで、看板商品のニュース系メールマガジンは発行部数が4万部を超えていた。メンバー数は10人程度で、北は北海道から南は広島まで全国に散らばっていた。その中で自分は最年少だったけどメンバーの多くは会社員で、本職の仕事を終えて帰宅してから、メールマガジンの編集作業に取り掛かるという生活を送っていた。
このベンチャー企業に参加するようになったきっかけは、そのメールマガジン内で編集者を募集していたからで、読者だった自分はそれを見て応募した。採用に関するやりとりもすべてオンラインだったので、誰とも会うこと無く提出書類(メール)とチャットでの面接を経て決まり、メンバーと実際に顔を合わせたのはそれから数ヶ月後だった。考えて行われていたかどうかはわからないけど、この1996年当時にメールとチャットが使えることが、以降で述べるメールマガジンの編集作業での主要ツールになるので、この募集方法と採用方法はそういう意味では理にかなっていたのかもしれない。この会社には3年ほど在籍していた。
18年前のリモートワーク
そもそもこの時代の日本のインターネットは、テレホタイムという事実上の時間制限が存在していたので、ネットへの出勤時間は23時〜と相場が決まっていた。もちろんWi-Fiという文明の利器はまだ存在しておらず、Google先生も登場していない。テレホの開始時間になるとメンバー全員が自宅のデスクトップPCからアナログの電話回線を使って接続し、IRCやICQでオンラインになる。たしかMacは1〜2人いたけど、後は全員Windows 95を使っていた記憶。この時のAppleはジョブズ復帰前なので倒産寸前、今からは考えられない。
メールマガジンの編集作業としては、その日に起きたニュースや情報をネットサーフィンやWWWC等のツールを使って集めて、編集長がそれに対して採用・不採用を決めていき、且つ、採用になったものは記事執筆者として適任な人に割り振っていき、割り振られた編集者はその情報を記事に落とし込んでいく。だいたい毎日3〜5本の記事(200文字前後の短いサマリーとURLのセット)を書いていた覚えがある。記事が出来上がったら校正担当者に送ってチェックしてもらい、OKが出たものはシステム担当者によってメルマガ配信システムに登録されていく。
日刊の場合はその翌朝に配信されるため、基本的には夜通し(テレホタイム)の作業になるけど、学生はまだしも会社員で毎日それでは長続きしないので、午前3時あたりを締め切りに設定して、記事に優先度を付けて執筆していき、高くないものは翌日配信分に回していた。これらの作業をする上で必要になるコミュニケーションは、すべてIRCとメーリングリスト上で行っていて、テキストだけでやりとりをしていた。おおまかにはこれが当時の日刊メールマガジンにおける毎日のルーチンワークだった。
それ以外には、隔週くらいで特集記事を組んだり、緊急性の高いニュースがあった時はその時点で対応できるメンバー(主に学生)だけで号外メールを作成して発行していた。また、日刊以外にも週刊のメールマガジンがいくつかあったので、その編集者も兼任していた。
今振り返ってみると、18年前であってもリモートワークとしての基本的な部分は現在とほとんど変わっていない。特に編集長/編集者/校正担当者/システム担当者の流れの部分などは、現在行っているチケット駆動やGitHub Flowにおけるプロジェクトリーダー/プログラマー(デザイナー)/レビュアー/デプロイの流れによく似ていると感じる。この時のチームが少し珍しかったのは、黎明期にもかかわらず(自分も含めて)非エンジニア率の高いメンバー構成による完全リモートワークだったという点。
そして当時のこの会社でのリモートワークは、運や偶然も大いにあると思うけど、REMOTEの書籍の中で勧められているリモートワークの仕方と多くの部分で合致していた。
REMOTEを踏まえて
本書では、リモートワークをする上での重要なポイントをいくつも挙げているけど、例えば以下などは、前述の1996年のリモートワーク環境でもうまくクリアしていた。
1日のリズムをつくる (p.225)
時代的な時間制約(テレホタイム)と職種的な時間制約(日刊メールマガジン)のおかげで、夜型という欠点はあれど1日のリズムとしては規則正しいものだった。
無駄な承認や手続きを根絶しよう (p.213)
これも上と同じ理由で、全員がほぼ同じ時間帯で作業をしていたので、メンバー間での無駄な待ち時間は発生しにくかった。
進み具合を共有する (p.112)
情報を閉じ込めてはいけない (p.105)
社内(リモートワーカーとオフィスワーカー)の格差をなくそう (p.206)
この3つの情報共有的な部分に関しても、オフィスが存在せず全員がリモートワーカーで、すべてのやりとりをIRCとメーリングリスト上でメンバー全員に対してオープンに行っていたので、それらによる格差やいざこざは生まれにくかった。
文章力のある人を雇う (p.179)
これはREWORKにも出てくるので、37signals的にはとても重視しているポイントの模様。今回の例では、編集者というそれなりに文章が書ける人の集団だったためか、チャットやメールでのテキスト主体のコミュニケーションでも問題や齟齬は起きづらかったように思う。
バーチャルな雑談の場を作る (p.109)
IRCでの編集ルームがそのまま、作業終了後などには雑談ルームとして使われていた。
直接会って交流しよう (p.198)
採用時は実際には会わなかったけど(これは37signals的にはダメだろうけど)、その後に一堂に会して顔合わせをしたり、合宿的なノリで観光地に集まって旅館に泊まり込んだり、会社の大事な方針決定のときにも全員で集まって会議をしたりしていた。名古屋に住んでいた自分は、東京と大阪によく出向いていた。
他者との良質なコミュニケーション
上記に挙げた項目のほとんどは、コミュニケーションを円滑にするためのポイントであることがわかるけど、それがいかに重要であるかは本書の以下の文章が的確に表している。
リモートワークでは、オフィスで働く以上に、人のつながりが重要になってくる。距離を克服するためには、良質なコミュニケーションが不可欠だからだ。 文字だけでやりとりするとき、人は悪いほうに流されやすくなる。ちょっとした言葉のあやが、大がかりなケンカを引き起こすかもしれない。トラブルの芽は一瞬のうちに摘み取らないと、疑いの気持ちがどんどんふくらんでしまう。 これが、リモートワークの大きな課題のひとつだ。メンバーのコミュニケーションを健全に保ち、みんなが前向きに気持ちよく働けるようにすること。もしも利己的で口の悪い人間が集まっていたら、チームの雰囲気は最悪になってしまう。
強いチームはオフィスを捨てる (p.163)
一見リモートワークでは、オフィスワークの時に比べて他者との煩わしいコミュニケーションが不要になって自分の好きなようにやれるから楽だ、と思いがちだけど、長期的にうまくやっていくためには逆で、リモートワークではオフィスワーク以上に他者との積極的なコミュニケーションが必要になる。
このコミュニケーションの対象は、チームメンバーだけに限らず、家族や友人など身近な人とのコミュニケーションも含まれていて、孤独なリモートワークによって周囲から孤立してしまうことを防ぐ意味も持っている。
はじめのうちは、そのほうが気楽だと思うかもしれない。でもそのうちに、だれでも孤独を感じるようになる。いろいろなツールでコミュニケーションがとれるといっても、やはり顔をあわせて議論したほうがいい場面はあるだろう。
強いチームはオフィスを捨てる (p.49)
当時の自分はそんなことは少しも考えていなかったけれど、結果論で言えばこの時の会社はその点についてうまくクリアしていたことが今になるとよくわかる。なぜなら、この次に勤めることになるデザイン会社でのリモートワークで、自分はそのコミュニケーションを怠ってしまったがために残念な末路を辿ることになるのだけど、それはまた別のお話。
対象への継続的なモチベーション
前述のコミュニケーションとは別に、リモートワークの課題として挙げられているもう1つのことにモチベーションのコントロールがある。
会社にいれば、上司や同僚の目が気になって、仕事をしなければという気持ちになる。でも家で働くなら、自分で自分を駆り立てなくてはいけない。これは意外とたいへんだ。
強いチームはオフィスを捨てる (p.49)
これはリモートワークをしていると毎日痛感することになるけど、当時のメールマガジンのリモートワーク環境の場合、
- テレホタイムという時間的な制約があるため、その時間内に集中して作業を終えようとした
- 日刊メールマガジンという時間的な制約があるため、締切時間までに作業を終えようとした
という2点が、良い意味で仕事モードへの切り替えを促してくれていて、質の高い集中力をもたらしてくれていたように思う。これはオフィスワークにおける時間的制約と物理的制約のうちの前者だけが、偶然に良い形で再現されていた状況と言えるかもしれない。
言うまでもなく当時の自分は、テレホタイムなんて無くなればいいのに、24時間ネットできるといいのに、と思っていた。ところがいざ時間的制約が無くなってみると、仕事をする時間を自分でコントロールしなければならなくなるので、さきほど挙げた課題が浮き彫りになる。これは自由を得た代償と言えそう。また当時はTwitterやFacebookもなければ、ブログという単語もまだ生まれていない。能動的に自分から探しに行かなければ情報を得られない時代だった(メールマガジンはそれを改善しようとしていた)。誘惑してくるものが少なかったという意味で、仕事をする環境としては恵まれていた。
メールマガジンの編集という仕事内容にしても、その日の新しい情報を自分で探してきて、それを自分で記事にする場合であれば、対象は興味を持っていることである確率が高いので、やる気を維持しやすかったように思う。特集記事や号外などで適度にイレギュラーな作業も入ってくるため、それらはマンネリの解消に役立っていた。これは後から振り返ってそう思うというだけで、少なくとも当時の自分はそれについて意識的ではなかった。そして、他のリモートワークを経験していく過程で、いかにモチベーションを意識的に継続的にコントロールしていくか、が重要だということを思い知ることになる。
そういった意味で言うと、この会社の代表はメンバーのモチベーションの維持に意識的で、例えば合宿的なイベントを定期的に行ったり、参加から1年が過ぎたあたりで、それぞれのメンバーの(ストックオプション的な)会社の所有権を明文化し、それを証明する文書を全員に与えたりしていた。今になって思えば、そういったことを行っていたのは個々のモチベーションやチームの結束力を高めようとしていたのだろう。
モチベーションのことを考える場合、まず最初に対象が本当に自分のやりたいことかどうかという大前提があるけど、それに加えて、上記のような定期的なモチベーションのコントロールも重要になってくる。特に、周りに誰もいなくて、自分を見ているのが自分しかいないリモートワークの場合、長期的に良い仕事をし続けるには対象への継続的なモチベーションが必要不可欠になると、これまでの経験と本書を通じて改めて思った。
この本の中ではモチベーションの高め方として、簡潔にこう書いてある。
頭脳労働者のモチベーションを引きだす唯一の方法は、楽しい仕事を、楽しい仲間とやらせることだ。それ以外に近道はない。
強いチームはオフィスを捨てる (p.237)
というわけで、自分が最初に経験した18年前のリモートワークは、時代的な背景や運や偶然など様々な要因も絡んだ結果、今振り返ってみると結構うまくいっていたように思える。本文中でも少し触れたけど、この後に勤めた会社でのリモートワークはあまり良い結末を迎えなかったので、それとの対比や思い出補正によって、多少美化されている面はあるかも。また、いろいろと無知で無意識だったおかげで、うまくいっていた部分も少なくなさそう。
でも現在は、既に技術的には円熟しつつあり、状況はより複雑になっている。その中でコミュニケーションやモチベーションを良い状態に保つためには、参加するメンバー全員がそれについて意識的になって協力していかなければならない。そのことは、本書の中でも強調されているし、それを実践していくための手引書として、この本は優れている。
技術はすでにそろっている。世界中の人といつでも簡単にコミュニケーションがとれて、一緒に作業を進められるツールがいくらでもある。 それなのに、技術を使う側の人間は、いまだに昔ながらの働き方に縛られている。 アップデートが必要なのは、どうやら人の気持ちのようだ。
強いチームはオフィスを捨てる (p.9)